感情の隠れ蓑と人間関係のもろさ
ごめんね、
申し訳ない。
文章ではそんなことを打ち込みつつも
微塵もそんなことは思っていない。
ほんの、数パーセントは思っているけれど。
そんなことができる時代になりました。
連絡が便利になった分、そこのところの感情は見えない
本当の感情は隠れ蓑
この時代のコミュニケーションは本当にいつになく難しい。
ひとそれぞれにはきっと美学というものがある
私だけの美学 というもの
美学が合わない人は、長く付き合っていくことがむずかしいのではないかと
私は思うのです。
例えば、必要連絡事項なのに返信が遅いこととか
急を要する連絡でなければ私はそんなに早い連絡を必要とはしません
私自身連絡はとても遅い人ですし。
親しき中にも礼儀あり
という言葉があるように、親しくなってからこそが本番、見せ所とも言えまいかと私は思うのです。
親の元を離れると、どうして礼儀や挨拶感謝の心を忘れてしまうのだろうか
これまで多くの友人だった人たちにそう思ってきました。
親の元を離れると多くの人は傲慢になるように思います
まあ、それは一種の独立の過程と呼んでもいいのかもしれませんが
そのようにはなりたくないと私は強く願うのです
所詮人間なんてちっぽけなものなのですし
こんな世界でミジンコの威張りあいをしたところで神の目にはお遊戯同然に映っているものだと思うのです。
私の美学は
・バスの運転手さんには挨拶をする
・SNSは学びのために活用する
・消費するだけでなく創作する
・嫌いな人とはできるだけ関わらない
・好きな人には思いを伝える
・たまには料理もしてみる
・自らを信じる
・素敵な音楽はプレイリストに追加する
・無駄遣いをしない
・好きなことをして生きる
・たまには文章も書く
・若者言葉は極力使わない
・感謝を忘れない
・好きなものと人を愛して生きる
ざっと、こんなところでしょうか。
思いつく限りを挙げてみて結構ありました
とにかく、
こちらが急を要すると考えている連絡に対して
相手はもしかしたらそうは思っていないのかもしれない。
美学の違いは人と人との関係性を悩ませるものの一つだと私は思うのです
早く連絡頂戴ねと言えることもできたのかもしれない
しかし子供じゃないんだから、と信頼して相手の返信を待つ
連絡は帰ってこない
インスタグラムのストーリーは投稿される
楽しそうな様子
もうそろそろかな
連絡は待てど暮らせど来ない
せっかちでしょうか
もう一週間は待ちました
予定を立てたかったこちら側とどうやらそうではないような態度のあちら側
歩みよればよかったでしょうか
連絡頂戴ねと
こちらもそこまで暇じゃないのです
あなた一人とのやり取りをすることにもう疲れました
これを機に
もう会う事も、話すこともないでしょう
いいのです。それで
そしてあなたはきっと何も思っていない。
少し不躾な奴だと、あるいは思ったかもしれない
しかしそれでいいのです。
それを指すこともしません
指すこともできるのだけれど、あえてそんなことはしない
あなたの汚点をなおすことにつながるから
もう会いたくもないと思っていた人の汚点をなおすように助言をくれてやるなんて
良い人が過ぎるでしょう
そんなことはしません
私はとても意地が悪いので。
どんどん人が離れていけばよいあなたのもとから
とさえ思うのです。
ごめん、7日遊べなくなった
そのメッセージには約1時間後に既読が付きました
そうゆう事です、所詮。
だからこの時代が嫌いです。
申し訳ない。
と送りつつ
微塵もそんなことは思いません
例え高校の時からの付き合いと言えど
いとも簡単に
こんなことで?と思うようなことで
成長するにつれて
人と人との関係性はもろくなっていく
そんな世の中だと私は思います。