女として生きることと令和のルッキズム
女性とは誠に大変な生き物だと私は思う
ルッキズムが台頭する現代ではなおさら。
髪の毛は毛先までつややかでサラサラなものが求められ
お肌はきめが細かくむきたての卵のような見た目でなくてはならず、
まつげは1回5000円するまつ毛パーマで目を少しでも大きく見せたり
二重の方が可愛いという作り上げられた固定観念に囚われ痛い思いをしてまで二重の整形をする
唇はふっくらプルプルが可愛いからとヒアルロン酸を注入し
しわやたるみが嫌だからとボトックスを注入する
時にはお尻まで人工的に形作ったりもする。
脂肪吸引も、したりする
爪の先まできれいにしていないと女としては認めてもらえず
友達からも評価の目を向けられる
少しでも太っていれば女として見られず
ファッションセンスまで求められる
そんな世の中である。
とりわけ日本のルッキズム観は異常だと言えよう。
可愛い子としか写真を撮らない
可愛い子としか遊ばない
なぜならそれ全てが自分のステータスに繋がるから。
SNSを見て遠回しに否定されていると気付く子たちがどれだけ多いことか。本当ならそんなことを考えなくても済むはずなのに。
可愛い子といれば私も認めてもらえる
可愛い子との写真を挙げれば自慢ができる
ださいあの子とは遊ばない笑
だって私の価値が下がるじゃん?
言わせてみれば一種の狂いだ。
では誰がこんな世の中にしたのだろう。
彼女達自身だと私は思う。卑下する必要のない自分自身の個性を否定し理想を作りそれを発信し続けたインフルエンサーに始まったことだと考える。推しのあの子が否定している部分だから私も変えなきゃいけないという強迫観念に近いものを一般人がメッセージとして受け取る。今のインフルエンサーと呼ばれる人たちは知ってか知らずか美について無責任に発信し、美の基準を高め自らもその周りも苦しめている。ファンからの要望であれば喜んで発信するのだろう。受け取った女の子たちがその後どうなっていくかなんて知る由もない。いわゆるインフルエンサーほどの稼ぎがないにもかかわらず身の丈に合わないお金の使い方をするようになりついには戻れなくなる。これが令和の悪夢だと私は断言する。
女は綺麗でしかし醜い生き物だ。笑顔という仮面を纏い愛嬌を振りまきながらも仲間内では、会社では、世間では、自分がランキングのどのあたりに位置しているのかについて素早く計算する。
口を開けばマウントを取り合いお互いが嫌な気持ちになるにもかかわらずそれでも負けたくなくて自分の地位を知らしめようとする。
だからもう疲れたのだ。女として生きることに。
女に生まれたからと言ってどうしてこんなに惨めでつらく苦しい人生を歩まなければいけないのか。常にステータスを気にしなければいけないのか。仲の良い友達だと思っていても尚きっとそんなしょうもないことを考えているのだろうと思ってしまうのだろうか。普通に生きているだけでも常に妬みや評価の目を向けられ裏では嘲笑いをされているのだろうとか、そんなことを考えてしまうのか。
だから最近は男性といる方が女友達といるよりはるかに気楽なのだ。会話も何も考えずに喋ることができるし馬鹿な言い合いもできる。そこにマウントの取り合いもなければ評価の目を向けられることもない。思っていることはすぐに伝えてくれる。そっちの方が何倍も楽しい。
綺麗であろうと努力することはとても大切で否定する気はない。私もこんなことを言っておいて同性からのルッキズムの目がとても怖いのだ。いつもびくびくと怯えている。私はみんなからどう思われているのだろう、私との写真が上がらないという事は認められていないのかもしれない。何かダメなところがあったのかもしれない。服装がださかった?メイクが似合ってなかった?何か気の障ることでも言ったかな、もっと写真写りを良くしないと。
私は自分自身のルッキズムを壊したい。
そして何より個性を愛せるようになりたい。
卑屈じゃなくて、まっすぐ生きられるようになりたい。
普遍化したジャパニーズ「かわいい」ではなく
日本の女優さんのような美しさ色気を兼ね備えた女性になりたい。
歳を重ねても尚美しくずっと見とれてしまうような女優顔になりたい。