paingain’s blog

私の思考の記録

浮いた熱を溶かすには

浮いた熱。

 

例えば、創作欲だとか。

何か作りたい

何かを歌いたい

何かを書きたい

誰かに伝えたい

 

そんなこと

 

浮いた熱は

浮いたそばから昇華させるべきだ

それが一番好ましい

 

さもないと

もぞもぞして

むずがゆくて

いつか、いつのまにか

忘れたくなかった自分を忘れてしまうようになるのだから。

 

インターネットでも

アナログでも

 

思いついたらすぐに書き落としていったほうが良い

自分のためにも

未来の自分のためにも

 

時は一瞬で過ぎるから

 

かれこれ一週間ちかく更新できなかった

パソコンとWi-Fiの調子が悪かったことや

現実世界があまりにも忙しすぎて

少しばかりいつもの自分じゃない一週間を過ごしているようだった

かなりのストレスだ

いつもできていることができなくなると途端

私の生活は破綻する。

 

文章を書くことなんて毎日練習してこそのものだというのに

書くのが下手糞になってしまったかもしれない。

 

非日常は、かなり苦手だ。

感情が忙しくなると同時に

自分と向き合う時間を取ることが難しい

 

忙しさとは自我を忘れることだと私は定義する

自我を忘れたらそれはもう私ではない。

ただシステムに則って動くさまは

ベルトコンベアを滑るだけの

ロボットのような何かなのだ

 

自分と向き合って文章を書いていないと

何かが欠けているようで。

自分の中の大切な何かが満たされていないようなそんな状態

息苦しかった

まるでずっと水中にいるかのような、酸素が足りていない状態

浅い、意識

 

現実の世界も刺激的だけれどやはり私は

自分の思考と向き合って文章に落とし込んでいる瞬間が

一番自分らしい気がしてならない

 

それはあるいは禅のようなものだ。

そう、自分と向き合い自分で昇華し生活に繋げていくのだから

禅でない禅と言っても過言ではない

 

今は少しずつ自分を取り戻しているような感覚だけれども

またしばらくは忙しい日常は続く。

 

しかし継続の努力は怠りたくない

いつか必ずや、いやもうすでに私の中で

ある種の核たるものへと変化し得る。

この行為は私の一部であって、

この習慣を忘れてはならないような気がしてならないから

 

いや、すでに習慣になっているのであればそれを忘れることはないから

まだこの行為は私の中で習慣化していないようである

 

否、忘れたという表現は適さない。

ずっと頭の片隅にいたのだ、それは

まだかまだかと、その記憶が疼いていた

忘れたのではなく、

忙しい日々をクリアするために

あえて忘れようと努めていたのだろう

 

まるで、忘れられない元恋人を早く忘れようとしている時のような、

あのせつなくもどかしくやり切れない感情

 

この一年が終えるまでに

私はこれを習慣化して見せる。

 

絶対に。