ああ、あれはいい人なんかではなくて
都合のいい人
という意味だったのだなと
自分に向けられた言葉に対してそう、解釈することを覚えてしまって
それが自分を時にどん底まで落とし
とんでもなく虚しくさせる
おそらく
高校生の時くらいまでは
私はだれにとっても良い人であろうとしていた
優しく、平等に肯定し、笑顔で、自分の意見を隠して
それが人に嫌われないための信念だった
嫌われることを恐れていた
そのおかげで?
「あなたの悪口を言っている人なんて聞いたことがないよ」
と言われることもあった
その時はとても嬉しく思っていたけれど
彼女たちにとって何の弊害ももたらさない
都合の良い存在
と言うだけだったのかもしれない
いい人とは何なのだろうか
私は自分自身の闇深さと
醜さを知っている
いい人では断じてない
人には優しくあろうと努力はしている
自身の体調や気分なんかでできないこともあって
そんな自分を無茶苦茶に殴ってしまいたくなる時がある
それくらい、わたしはわたしの存在をまだ肯定できないでいる
笑って相手の意見を否定せずに、受け入れて聞き役になること
仮にこれがいい人の定義であるとするならば
私はその基準を満たしていたことになる
仮面上は。
しかしそんなことをしていると
ある日突然自分に対するどうしようもない嫌悪感が襲ってくるのだ
しかしいい人をこれまで演じてきたのだから
突然辞められるわけがない
だがやめよう、やめようとしようとしても
私はすぐにへらへらしたいい人の仮面を
つけてしまう
本当の自分を見られるのが怖いから
嫌なことを嫌と言う勇気がないから
嫌なことを嫌と言って人と争いたくないから
嫌と言って人を傷つけやしないかと恐れているから
いい人の仮面をつけていると
都合のいい人と扱われている時が、わかるようになる時がある
別にどうすることもない
ただその人を心の底から嫌いになって
自分の弱さに改めて気づかされるだけで
都合よく扱ってくる人は、表面上は双方に利益があるように見せかけるものの
実質都合よく扱われている方には何のメリットも生じていない
むしろ、そいつの踏み台にされたというに苦い思い出だけが
後から後から襲ってきて
私の首をしめる。
ぎゅっと、心臓が痛くなる。
いい人を演じている私も悪いが
こいつは何も拒否しないから利用してやろうという魂胆を持つものは
この世界でも首位を争う罪深さを持った人間である
都合のいい人と扱われていると感じたときは
もうとことん拒否してやろうと今この瞬間に誓う
そして私は強くなりたい
自分のことを自分で守り人に対して対等に意見を述べられるようにpなりたい
へらへら笑って機嫌取りをすることなんて
もう金輪際、しないと誓う。