paingain’s blog

私の思考の記録

大学4回生-自動販売機編-

先週木曜日。

ついに大学最終学年である4回生としての生活が始まった。

 

これまでの大学生活と大きく異なる点が2つある。

1つ目は電車&バス通学から車通学になったこと。

これは週一通学になったことに大きく起因する。

もともと車の免許は持っていたがこれまでは最低でも週3回は登校していたため

通学定期券を購入した方が安上がりだった

 

2つ目は週一通学になったこと。

これまで単位をできる限り落とさずに履修してきた自分をさすがにほめてあげたいと思ったもので週一登校は大変楽だ

そして何より自分のための時間が多くあることが嬉しいものだ。

そして何より起きる時間が遅くても大丈夫なこと

これもとても嬉しい。遠方通学のため大学生らしい生活をやっと味わっている気分である。

私は1日12時間余裕で寝てしまうので睡眠時間が確保されることは大変ありがたい

友達に会える回数が減ることは少し寂しい気もするが連絡すれば会えると思うので定期的に会うことにしよう。

 

本題に戻りたい。

先週木曜日、4回生になってはじめて登校した。

キラキラで若々しい1年生らしき学生がたくさんおり微笑ましいものだった

 

事務に用事があったため先に用事を済ませた後、教室に向かった

ゼミ生に挨拶を済ませ、飲み物を持ってきていなかったため自動販売機に向かった

 

自動販売機があるエリアには多くの学生がグループになり談笑しており

少しなつかしい気持ちを覚えながら目的地に到着し驚愕した

7割ほどのドリンクが売り切れていたのだ

 

こんな光景を見るのは学生生活史上はじめてで思わず笑ってしまいそうになった

目的としていた水が売り切れていたためアイスのブラックコーヒーを購入することとした

140円。

私は自動販売機で飲み物を購入すること自体がとても贅沢であると感じているため罪悪感覚えながら財布から小銭を取り出し自動販売機のボタンを押した

 

冷たいブラックコーヒーが出てきた。

講義が始まるまで残り数分だったためお行儀悪くも歩きながら

コーヒーを口にした

美味しい。

美味しかったがもう少し安くならないものだろうかとも思った

 

自動販売機はとにかくスーパーで買うより3割増し程の値段になっている

学生専用自動販売機のような、少しお値段考慮した自動販売機を学内に設置してほしいことを1回生の頃から思ってはいるのだが。

 

講義が終わり帰り支度を済ませフロアを下っていく際

飲み物を購入した自動販売機の前を通ったのだが

販売機会社の人が飲み物を補充していた。

 

私の自宅にも自動販売機が設置してあったことから幼少期はドリンク補充の手伝いをしていたことを思い出しなつかしい気持ちになった。

 

明日も多くの学生が利用するであろう自動販売機を満たしてくれている会社の方に感謝し、明日も良い1日になるようにと願いながら帰路についた。

 

 

 

渦中の頃は

集団行動が苦手だ

ことさら学校のように個性も考え方も違う子どもたちの行動を統制して

苦手なことと得意なことも踏まえないで

何でもかんでも参加させようとする風潮が大嫌いだった

強制的な協働に何の意味があるのだろうか??

特に中学、高校の頃は地獄でしかなかった

勉強だけできればいいのに。

常にそんなことを考えて過ごしてた

だから尊敬できる教師や好きだった教師は片手に収まる

 

それに比べると大学生はとても自由だ

集団行動を強要されることもなくひとりでいても何の問題もない

堂々と1人で行動できる

自分の意志と決断で行動できるのだ

とっても素敵だ

何かに抑圧されずに自由に勉強できる場所だ

そんなカリキュラムを中学からでも導入しても良いはずなのに

 

ここ数日考えてみたことがある。

就活の面接の際に

「チームで取り組むことが苦手だという診断結果が出ているが」

と問われたことがある

 

その場は何とかやり過ごしたものの

自分でも引っかかるものがあり分析をした

 

そうだ私は群れることが嫌いではあるけれども協働は好きなのだ

"群れる”

へらへら周りにあわせてパーソナリティを潰そうとしていた自分に嫌気がさして以来

無理に周囲にあわせることをしなくなった

 

おおよそ多くの日本人が経験

してきたであろう日本人の習性の一つであろう

男女問わず時にはヒエラルキーを伴い小さな村社会を作って生きる

そんな小さな世界だと気付かずに

そこからはみ出ないようにと苦しんだりすることもある

 

私は自分の冷徹さというか無慈悲さに自分でも悲しくなることがある

クラスメイト一丸となり何かを達成せねばならない時に限って

私の気持ちは究極に冷めていく

担任を見ていてさえ何にそんな熱くなれるのだろうと思っていた

 

協力の振りはしていたのだけれども

気持ちは追いつかない

心の中ではいつも

早く終わらないかな

勉強した方が効率的やんとか。

何が楽しくて他人のために時間を使わなければならないのか

好きでも得意でもないことを伸ばそうとする教育体制が腐っていると感じていた

 

もう少し頭の良い高校に通っていればそんなことも思わずに済んだのかとも思う

とにかく周りが何に熱を上げて居ようと早く勉強したかったし

本を読みたかったし

自分のために時間を使いたかった

 

学校祭なんて大嫌いだった

そんな人も少なくはないはずだ。

 

 

 

渇き。

渇き。

わたしの中にある渇き

 

人恋しくなったり

誰かに何かを教えてもらいたかったり

教えたかったり

何かを話したかったり伝えたかったりする

渇き。

 

新しい何かが欲しくて

新しい何かを得ようとして

違う世界を見てみたくて

自分とは異なる知識を持つ人の話を知りたくて

その人の頭の中を覗き込みたくなるような

じたばたしたくなるような渇き。

 

そんな時は本を読むに限る。

そう決めている

日常生活の中で決めていることやルール化されていることがあればとても楽で

時間を無駄にすることもない

対処の仕方を早いうちに獲得しストックしておくことは

自身を守るためにも必要だ

まるで予防接種のような効果がある。

 

専ら読書をする

本はいつだって先生であり友達であり師匠でありメンターである

突然いなくなることもなく

事本相手だったら誰に迷惑をかけることもない

本との対話に没頭する

私と本との時間

本当に大切な時間

 

大学生になってより多くのジャンルや

ノータッチだった作者の本に手を伸ばすことが増えた

事によって世界がより広がった

 

目標は20代のうちに1000冊の本を読むこと。

いつだって本は見方になってくれる最も良い人生の伴侶であると考えている

 

私は本が大好きだ。

大人とは自由だ

夜に、

缶コーヒーを買ってそれを飲むこと。

何かを思いながら。

 

私にとって少しの贅沢に分類分けされるから

日常的には行わない

少しの神聖な儀礼として捉えている

 

一日に

パフェとケーキの2つを味わう事

子供の頃の夢。

例えばカフェや喫茶店を梯子した時

いとも簡単にできてしまう

そのような年齢になったことを実感する

 

葛藤はあるけれども

これも日常的にすることではないし

また、できることでもないから

少しの贅沢として自分を甘やかす

 

子供の頃

大人になったらしてみたいこと

そういった夢みたいなリストがあって

 

それができる年齢になるまで

意外とあっという間だったかもしれない

すこしの罪悪感を覚えながら

大人になったら実現してみたかったこと

それらを満喫する

 

大人の年齢になったのだというノスタルジックさとともに

これからもわたしは生きていくのだろう

 

すこし背伸びしたお財布を買う

カフェで友達とお話しする

 

大人になったらできることは増えて楽しみも楽しみ方も増える

辛いことばかりじゃない

自由が増えるのが"大人”だと定義づけても良いのではないか

 

自分が自分のために作ったコーヒーを飲む

 

すこし遠くへドライブに行く

 

すこしの罪悪感を覚えながら

わたしは大人になっていく。

 

 

春の訪れとともに

忙しく余白のない日々を送っていたため投稿が久しくなってしまった。

最近少し心の余裕が出てきたため

文章を書きたいという気持ちが沸々と。

季節はもう、美しい春の頃。

かわいらしい桜の花びらや

小さくとも伊吹感じる小さな花々を見るのが嬉しい季節だ。

 

新年度も始まったところで

日々の生活を振り返り。

私の場合心の余裕がもろに体の症状として表れてしまうのが特徴であるという事が最近の気づきだ

 

美容室に訪れた際「最近疲れていますか?」と尋ねられたため

理由を尋ねたところ

「頭皮を見ると体の様子が一目瞭然なのですよ」

と教えてくれた。

 

目から鱗だった

髪の毛のハリや艶を感じなくなっていたため

ああ。疲れているな

くらいには思っていたのだけれども。

 

体調の変化というのは思ったより体に正直に表れるらしい

これまでの頑張りも含めて自分の体を労わってあげたいと思ったものだ

働くことについて考える春休みの頃

思えば今年が最後の大学生の春休みだ

3年なんて早いものだ

小学校の6年間はいったい何を思って過ごしていたのだろうか

 

長期休みになるたびに自己研鑽に励まねばならないと思いつつ

いつもよりぐうたらした生活を送ってしまう。

後悔のない日々を過ごすためには計画を立てることが重要だと感じる

おおざっぱな性格の私に圃本当にそれが必要だ

 

やはりモチベーションを保つという観点から見ても私にとって友達はとても必要だ

長期休暇に入ると友達と会わなくなることから

モチベの維持が難しい。

 

これまでも友達は居たほうではあるけれど

その関係性にはいつも悩まされてきた

まあ勝手に考えすぎて悩んでいたのは私の方なのだが。

きっと「思っても考えてもいないであろうこと」を私は懸念して危惧して

友達の言動を疑り深く洞察してしまう癖があることを自分自身でわかってはいるし

そこが自身の端緒であることを重々承知してはいるのだけれども。

どうしても、変えられない

いわゆる人の”大して考えすぎない“ことができないとでもいうのであろうか

 

そんなことに脳の糖分を費やすよりもっとほかの使い道があろうに。

ほとほと要領の悪さに自分でも呆れる

きっと私の周りにいる人たちは私が予測して考え先回りの行動をどうしようか考えているその瞬間もきっとそんなことを考えてはいないのだろう

 

友達と言えば

高校2年生のとき

「他人のことは信用していない」という友達がいた

人のことを信じたことは一度もないとか言えばみんなに笑われるのかなと。

 

私が思ったこととしては

きっとそうゆう人も多いんじゃないかなということ

 

信じてみようと思い

信じてみても裏切られる

人間は腹黒い

 

信じているのは己くらいで

たいがい他人には期待しないほうが案外うまくいくのかもしれないな

今になってようやくそう思うことができるよ。

そういえばあの子は大人びていたもんな

 

成功も失敗も外部要因ではなく自分次第であると

他責ではなくすべて自己責任であると自覚した方が

少々の傲慢さをもって人生に臨んだ方が

「もっと楽に生きられる」

のかもしれないな

 

世界はたとえ誰かがひっそりいなくなっても

通常通り回っていく

そうゆうものだ

大学生最後の春休みはそんなことを考えながら

憂鬱で仕方ない就活で終わりそうだ

 

そんな思考に頭を巡らせ

冷たい空気の中

ひんやりとしたスーツに腕を通す

きっと世間の働いている人たちはこの動作を何十年間幾度となく

繰り返してきたのであろう

私はこれからそのフェーズをこなさければならない場所まで来た

 

思わずため息が出そうになる

日本人はやはり働きすぎだ

働きたくない、それが本音だ

多くの人間がそうであろう

だが日本人は我慢する

働きすぎてもGNPはむしろ先進諸国よりも劣っているのというのに

 

壊れてしまうまで自分の心身を粉にして働くのだ

 

そんなのおかしいと思わないか。

 

 

やさぐれているな私。

そう思った春の気候の今日この頃。

 

 

夜道散歩、ノスタルジック。

後期の講義が終わった。

 

今期の単位を落としていなければ

大学生の講義も終わりを告げる

 

仲の良い女友達4人と居酒屋に行く算段をし

実行した。

 

3回生にもなると講義がほとんどかぶらず

1,2回生の時より顔を合わせる機会がはるかに少なくなっていた

 

久しぶりの飲み会で本当にたくさんの会話を交わした

日常生活のことから趣味の話、最近の学校での出来事や恋愛について

 

居酒屋って普段話さないようなことも話したくなるから

不思議だ

 

それが居酒屋の醍醐味であるのだろうけれど

 

夢のように楽しいひとときだった

 

帰り道、家の方向が同じ3人で夜道を歩いた

 

星空がとてもきれいだった

星空が綺麗な夜は少し泣きたくなる

 

こんなにきれいなんだから少しくらい泣いても誰も咎めないでしょ

そんな気持ちにさせられる

そして世界が大きいことを実感する

ココではないどこかで私と同じように誰かもまた日常を生きているのだなと思うと

この美しい世界に生まれてこれたことに感謝する気持ちが浮かびあがってくる

 

実家暮らしのため講義終わりは直帰している私にとって

大学周辺を夜に散歩することはとても新鮮で。

 

「もう3年たったかあ。はやかったね」

という発言を起点に

この3年間を思い出す。

 

学生生活。

ずっと一生懸命に目の前のことをこなしてきたけれど

いざ立ち止まって少し振り返ってみれば

すごく濃くて楽しい実りある学生生活だったし

もうすこしチャレンジしてみても良かったかな

とも思ったりする

 

そのことを友人たちに伝えると

「そうだね笑長いようで本当にあっという間だった」

 

こうやって仲良くご飯を食べに行ったり

心からありのままの状態の気持ちをぶつけて

会話することができる存在は本当に貴重だと感じてた

でもこの人たちに出会えたことは

生涯の宝物になる予感がして

 

別れの季節。

それぞれが違う選択肢へと歩を進める

卒業式のことを考えると

とても泣きそうになった。

 

最近時の流れが少し残酷に感じるほどはやく

月日が過ぎ去っていく

 

まだそんな準備ができてないっていうのに。

もうすこし、学生のままでいさせて。

 

冬の空気と

大好きな友達と

お腹いっぱいで満たされた心のままで歩く夜道で

存外、ノスタルジックな一夜を過ごした日の思い出。