paingain’s blog

私の思考の記録

渦中の頃は

集団行動が苦手だ

ことさら学校のように個性も考え方も違う子どもたちの行動を統制して

苦手なことと得意なことも踏まえないで

何でもかんでも参加させようとする風潮が大嫌いだった

強制的な協働に何の意味があるのだろうか??

特に中学、高校の頃は地獄でしかなかった

勉強だけできればいいのに。

常にそんなことを考えて過ごしてた

だから尊敬できる教師や好きだった教師は片手に収まる

 

それに比べると大学生はとても自由だ

集団行動を強要されることもなくひとりでいても何の問題もない

堂々と1人で行動できる

自分の意志と決断で行動できるのだ

とっても素敵だ

何かに抑圧されずに自由に勉強できる場所だ

そんなカリキュラムを中学からでも導入しても良いはずなのに

 

ここ数日考えてみたことがある。

就活の面接の際に

「チームで取り組むことが苦手だという診断結果が出ているが」

と問われたことがある

 

その場は何とかやり過ごしたものの

自分でも引っかかるものがあり分析をした

 

そうだ私は群れることが嫌いではあるけれども協働は好きなのだ

"群れる”

へらへら周りにあわせてパーソナリティを潰そうとしていた自分に嫌気がさして以来

無理に周囲にあわせることをしなくなった

 

おおよそ多くの日本人が経験

してきたであろう日本人の習性の一つであろう

男女問わず時にはヒエラルキーを伴い小さな村社会を作って生きる

そんな小さな世界だと気付かずに

そこからはみ出ないようにと苦しんだりすることもある

 

私は自分の冷徹さというか無慈悲さに自分でも悲しくなることがある

クラスメイト一丸となり何かを達成せねばならない時に限って

私の気持ちは究極に冷めていく

担任を見ていてさえ何にそんな熱くなれるのだろうと思っていた

 

協力の振りはしていたのだけれども

気持ちは追いつかない

心の中ではいつも

早く終わらないかな

勉強した方が効率的やんとか。

何が楽しくて他人のために時間を使わなければならないのか

好きでも得意でもないことを伸ばそうとする教育体制が腐っていると感じていた

 

もう少し頭の良い高校に通っていればそんなことも思わずに済んだのかとも思う

とにかく周りが何に熱を上げて居ようと早く勉強したかったし

本を読みたかったし

自分のために時間を使いたかった

 

学校祭なんて大嫌いだった

そんな人も少なくはないはずだ。