paingain’s blog

私の思考の記録

神様は嫉妬という感情をなぜ人に植え付けたのだろう?

今回の題目は、

漫画「忘却バッテリー」に登場する人物である俊足、千早瞬平のことば。

 

この言葉に出会ってからずっと考えているし考えさせられる言葉だと思う

なぜ嫉妬という感情を人は抱くのか。

 

千早の場合、野球を続けるも体格とフィジカルに恵まれないことからこれまで他人を羨ましいと思う事は恥じることだと考えていたものの、努力を続けたところで体格や才能、あるいは体格という才能に恵まれた球児たちを近くで目にするたびに、「いいなあ」という感情とその言葉をふと口に出した自分自身にはっとし、努力では超えられない壁に打ちのめされ、ついには野球を辞めてしまう。という人物だ

 

”嫉妬”

 

周囲に自分以外の人間が存在する限り、これがどうして避けては通れない

スポーツなんかしているとなおさらだ

 

いいなあ、私にはない才能を持っていて。

いいなあ、私にはないものを持っていて

 

そんなことを思い激しく嫉妬したのは中学生の頃が最後だ

思春期の子どもには嫉妬という感情は重く、あまりにも重く飼いならすことが難しい感情だった

 

嫉妬をされることも経験した

しかし、嫉妬をされて第一に出てきた感情は悲しみだった

 

そう、自分自身で努力して手に入れたものもあればその人に生まれつき備わっているものだってある。

 

だからこそ、嫉妬をされてはじめて

この感情は無意味だと思うようになった

 

それ以降に激しく誰かに嫉妬するという感情を抱いた覚えがない

 

自分は自分だし、その運命を受け入れるようになったとでもいえようか

無駄なことにエネルギーを消費しなくなりかなり楽になったことを千早のセリフで思い出したのだ

 

そう、

嫉妬なんて言う意感情は無意味なのだ

嫉妬して恨む必要もない人物を恨んでいる暇があったらその人を分析して真似をして自分自身のものにする努力をすればよい

 

少なくともそうしてきたしこれからもそのようにするつもりだ

 

必要ないのだ、嫉妬なんて。

自分自身の生き様を愛してやれ。