「彼には内省の時間が足りないんですよ。」
大学で知り合った知人が、
教授に彼の知人について起こった出来事について、
彼の見解を交えながらそう述べているのを耳にした。
「内省が足りない。」
その言葉が私の耳に深く焼き付いた。
そうはいってもたいがいの人間には内省が足りないんじゃないだろうか。
彼の見解について批判的な意見が浮かび上がる。
彼の知人だけじゃない。
その話を笑って聞いていた教授にも、
話していた彼にも、
もちろん私も。
自分には十分な内省の時間があるなんて
言い切れるだろうか。
内省を、全ての人間が一日に数回仮に行っているのであれば
この世の中で起きている
無様な犯罪や醜い事件はもう少しなくなるのではないだろうか。
日本社会や世界規模で殺人事件が、犯罪が戦争が
起こり続けるその様子を伝えるメディアは
その様子をまざまざと伝えるだけで
内省の必要性を説いてくれたりはしないのだから。
彼の知人だけでない。
彼自身も私自身も、この世の中を構成するすべての人々はきっと
内省が足りない。
ありふれた言葉だがたった一度の人生だ。
自分自身が小さなころから夢を見てきたことは何だったか
その夢をあきらめてしまったのであればどうして諦めることになってしまったのだろうか
自分のこれまでの人生には何が足りなかったのだろうか
自分の性格に不足しているものは何であるのか
今日、他人に対して刃物のような言葉を投げつけることはなかったか
あるいは知人に、自分が大した人間でないにもかかわらず
偉そうなことを分かったようなふりをして説いたりはしなかっただろうか
家族に愛と感謝を伝えただろうか。
ここ最近、誰かに夢や願望を語っただろうか
自分より立場の弱い人をいじめたりはしなかっただろうか
今日、何かしらの努力をしただろうか。
誰かを妬み嫉み憎んだりはしなかっただろうか。
今ある日常を「あたりまえである」と思ってはいないだろうか。
短すぎる人生の中で、
私たちには内省が足りない。